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今野安健 鉄刷毛目皿 今野安健 鉄刷毛目皿

Life + BEIGE,
2017.03.30
今野安健 鉄刷毛目皿

 初めてのはずなのにどこかで既に見たように感じることがある。空や海、雲の動き、頬に感じる風、草の匂い、アスファルトに残った水たまり、幼い頃の心に触れた記憶が、いま目の前にあるものに共感を生み出しても不思議はない。器を見て「ああいいなぁ」とか「これ、好きかも」と思えるのは、かつて無意識に体験した記憶が、ある種の親しみという感情を呼び起こし、自分とそのものとの相性を決めているのかもしれない。
 
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 今野安健さんの器と出会ったのはごく最近のことだ。あるギャラリーで行われた二人展で作品を拝見する機会に恵まれた。一瞬でこの土の仕事をもっと間近で見たい、という衝動に駆られた。一目見ただけで、彼が日ごろ土と厳しく向き合い、格闘している姿が浮かんだ。手にすると不思議な気持ちがして、まるで旧い友人に再会したような懐かしさを感じたのだ。その出会いがきっかけとなり、三島、粉引、刷毛目、唐津と、様々な作風の器を拝見しているが、そのどれもが古陶に通じる美しさを感じさせる。力強さやごまかしのなさが最大の魅力だ。
 今野さんは九州でやきものを学んだのち、生まれ育った山形県鶴岡市で独立し、作陶されている。鶴岡市は大人の背丈を越える高さまで雪が降り積もる日本海側の豪雪地帯。冬の窯焚きにはご苦労が多いそうだが、自然が残る豊かな環境で、薪窯で焼成する器にこだわり、土の良さが伝わる仕事をされている。
 たとえばこの器は、手法としては赤い土に白化粧を施す刷毛目だが、一般に白い陶器の代名詞とされる粉引や刷毛目と同じ顔をしていない。鉄を施した部分は茶黒、白化粧の刷毛目は黄身色に。豪快に迫りくる表情はどこまでも深い。
 薪窯で幾日も薪をくべて焼き、窯出し後もう一度窯詰めして焼く、いわゆる「二度焼き」によって生まれた器である。二度焼くことで土の成分がさらに引き出され、焼き締まり、器の表面に何層も灰が繰り返し被る。器の中央に溜まったガラス質のグリーンの色は、薪が燃えてできた灰が自然に釉薬となった姿である。息を呑むほど美しく深い味わいがあり、心を動かされる。
 
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 器を手に取り裏を返せば、そこにも豊かな表情がある。きりりとした高台に豪快な筆の様子が見てとれる。野趣に富み、自然の景観を思わせる。今野さんは自分のやきものを「見て美しいもの、心動かされるものを器という形を借りて表現している」と言うが、彼の作品を見つめていると、この短い言葉に嘘はなく、全くその通りなのだろうと思う。
 15センチほどの大きさで取り皿として使うのにちょうど良いサイズだ。私は常々、日常使いの取り皿や小皿、あるいは小鉢のような一見脇役な器にこそ、力のある器を選ぶべきだと思っている。脇に力があるからこそ、主役が引き立てられる。ドラマの配役にも脇役の俳優が昨今注目されているけれど、言わずもがなことである。
 さて、器を取り巻く世界は時代と呼応し変わりつつある。最近ではインスタグラムの影響なのか、写真映えのする器がもてはやされるようになった。しかしどの時代にも流行に左右されず、本質の仕事は脈々と受け継がれていくものだ。器は土を焼くことで出来上がる。焼きをおろそかにせず、常にそこに可能性を見出していく作り手の器は、重々しく古びた「やきもの」ではなく、テクノロジーの先端にいる現代の人々に深い感銘を与えるような気がしてならない。
 日々の暮らしのなかで繰り返し使い、その器がそばにいるだけで心が満たされる。こうした心の作用が生まれるものは、どんなものでも誇らしい顔をして、媚びることなくすっと立っている。使うことでますます艶やかに育ち、経年の美しさが際立つ。素材に向き合い、丹念に仕事をすることで生まれるものが見る者を魅了し、さらに深く人を説得するのだろう。上質とは本来、そういう顔をしているものだと思う。
 
 
今野安健(こんのやすたけ)
1971年山形県鶴岡市出身。94年、日大美術学部美術学科卒業後、95年に有田・陶悦製陶所入社。翌年、唐津・中川自然坊に師事。2002年、地元鶴岡市に登り窯を築窯。https://yasutakekonno.jimdo.com/